神崎須磨さんから<believe>




 夜空の月は、心を閉ざした少女のごとく輝く。
心をなくし、ただ白い光を放つ様は、まるで自分だと「彼女」は思った。
何が叶うのだろう、信じるもののないこの世界で。
何を見つけられるのだろう、小さな光しか存在しないこの場所で。

 その思いは、濃い紺の空に吸い込まれていくようだった…。


 幾度も空を見上げてきた。 その空は綺麗で、だが空以外に美しいものが有るのだろうかと、その少女は旅を始めてからそう思った。 長い髪を風に揺らされ、溜め息をつく。 美しいものなんてモノが、この世に本当に存在しているのだろうか、そのことさえも疑わしくなっていた。
その少女には心がなかった。  ある日を境に、心から笑うことも信じる事も忘れてしまった。 勿論、涙を流す事さえも。
「おや、こんばんは。月見かい?」
「ああ、こんばんは、おじさん。ええ、ちょっとね。」
話し掛けてきた人物は、今滞在している町に住むパン屋の主人。 とても気さくで、明るい人だ。 が、少女にとってはどうでもいい事だった。 別に誰がどんな性格であろうが、そんな事は関係ない。 少女は、口元に薄く浮かべていた微笑みを、さり気なく消していった。
「おじさんは、なくしてしまったモノって…ある?」
少女の突然の問いかけに、パン屋の主人は困ったような顔をした。
「なくしてしまったモノ?…さあ…どうだろう?」
「…そう。」
少女は、気のない声を出した。 その場に座り込んで、草を引き抜く。 パン屋の主人が困っている。 目の前で、少女が何を言いたいのか分からない男が、目の前で自分を見つめている。 少女は、もう何回目にもなる溜め息をついた。 草をその場に散らして、そっと立ち上がる。
「もう行くわ。」
「…ああ、そうかい?もう暗いから、気を付けて。」
大丈夫よ、と少女は言って、踵を返した。 町の中をゆっくりと歩く。 もう夜なのに、なんとうるさいのだろう。 みんな浮かれてる。 浮かれすぎて、大切な事に気がついていない。 気がつかないから、馬鹿みたいに騒ぎ立てる。 久し振りに苛立ってきて、少女は転がっていた石ころを蹴り飛ばした。 石ころは、どこかに転がっていって、暗闇の中に溶け込んだ。 見えない、どこにも。 少女は、静かに笑った。 誰かが変な目でこちらを見ている。 別に気にはならないけれど。
「私もどこか狂ってる。おかしくなってる。自分の罪が、見えなくなってきた…。」


「お嬢さん、そんなところで独り言を言っていないで、見ていかない?綺麗だよ」
見るからに軽そうな男が、声を掛けてくる。 宝石商のようだ。 少女は、黙って近付いていった。 綺麗だよ、と言われて、珍しく興味が湧いたのだ。 だが、並べられた宝石を一目見た瞬間、少女はゆっくりと首を左右に振った。
「…綺麗なんかじゃ…ないわ。」
「え?」
わけが分からないと言ったように自分を見つめてくる男を見つめ返し、少女は皮肉気に笑った。
「綺麗なんかじゃないわよ。貴方が…人間が触ったんだから。」
少女は、なんだか怒り出したらしい男を無視して、歩を進めた。 無駄な時間を過ごしてしまった。 どんなに綺麗な宝石でも、人間が触れ、掘り返された時点で穢れてしまうに決まっているのに。 人間には必ず、心の中に穢れた部分があるのだから。 それは、触れたものに移って、じわじわと広がっていく性質の悪いもの。 少女は、空を見上げて溜め息をついた。
「…お母さん。」
少女の母親は、まだ生きている。 だが少女にとっては本当の母親ではない。 生んでくれたことなどは関係ない、その母親と言うのは、少女を産んでからもろくに世話をせず、遊びまくっていた。 だから、少女にとっての本当の母親は、この夜空だった。 暗く落ち着いた光で、抱き締めてくれるから。 少女は、静かに微笑んだ。 この時にだけ見ることができる、少女の本当の笑顔だ。 彼女はゆっくりと歌を口ずさんだ。 この空が教えてくれた、自分だけの歌を。 人間には理解できない言葉で織り上げた、真実の美しさを持つ歌。 この歌を歌えば、空はより一層優しく包み込んでくれた。 少女は、その感覚が好きだった。
「お母さん…お母さん。」
歌い終わると、何度でも自然の母を呼ぶ。 星が瞬いて、まるで自分に答えてくれたようだと思った少女は、我知らず肩を竦めた。 その場に寝転がって、自分にとっての母親に向かって語りかける。
「お母さん…大切なもの…信じるものをなくした人間は、どうやって生きていけばいいの…?」
答えるものは無論なく、少女の力のない声だけがそこに響く。 少女は、目を細めた。星の瞬きこそが、その答え。 母親が、自分に教えてくれていると言う事。 少女は暫く目を凝らしていたが、溜め息をついてその瞳を伏せた。 視界が闇に包まれ、何かを考える事が億劫になってくる。 だが少女は考える。今教えられたばかりの答えについて。


――――――――なくしたのなら、探しなさい。それが、また信じるものを得る近道…。


「お母さん。」
少女の唇が動いた。 人間の何を信じろと言うのだろう。 探しても、見つかりっこない。 何せ、人間は生物の中で、もっとも穢れたものだから。 清き人間など、この世には存在しない。 少女のその信念はあまりに強かった。 今まで自分が見てきた世界が、少女の信念をそちらに向けてしまったのだ。 少女は目を開けて、変わらず濃い紺色の空を見つめた。 星が瞬き、少女の目には眩しかった。
ふと、少女は別の考えを起こした。 今自分の中に入ってきた答えは、本当にあの空が教えてくれたものだろうか。 彼女は考えた。 違うとしたら、誰がこんな答えをくれるのだろう。 少女の瞳が、再び閉じられる。 考える。 考える。 …考える…。


「ああ、どうしたんだい、こんな所に寝転がって。」
突然声をかけられて、少女はふと目を開けた。 その視界一杯に、見慣れた顔が広がっている。 紛れもない、先刻会話していたパン屋の主人だ。 少女は起き上がって、別に、と短く答えた。 パン屋の主人は、心配そうな顔をしていた。 こんな所に寝転がっていたせいで、具合でも悪いのかと思ったらしい。 少女は、長い髪を自分で撫でつけた。
「本当に、何でもないのよ。ごめんなさい、心配かけて。」
「いいけど…本当に大丈夫かい?」
少女は、大丈夫、と言おうとして、この男を試してみたくなった。 信じるものをなくして、それなら探して。 それが一番の近道になるのなら、と少女は意を決して口を開いた。
「ちょっとだけ、気分が悪くて。でも、少し休めば…。」
「ここで?」
少女は頷いた。 ここで、このパン屋の主人が自分の期待通りに動いてくれれば、それでよし。 この人は信じられると、そういうことになる。 だが、余計な同情や哀れみで言語を発すれば…少女は、いつでも準備はできていた。 いつかの時のために、この穢れた生物をこの世界方全て消し去ってしまう準備。 このパン屋の主人の言葉が、少女の行動の鍵になる。 少女は、パン屋の主人を見つめた。 目を見ていれば、言葉がどうであろうと心が分かる。 主人が、口を開いた。
「・・・そうか。」
パン屋の主人が、ゆっくりと微笑んだ。 同情も哀れみもない目で。 一点の穢れもない、自分の言葉が本当であろうと飲んでくれた人間の目をして、彼は少女に背を向けた。
「気をつけるんだよ。お休み。」
「おやすみなさい…ああ、おじさん。」
「何だい?」
少女は、振り返ったパン屋の主人の顔を見て、微笑んだ。
「貴方が私のお父さんだったら、よかった。」
少女が言うと、パン屋の主人は朗らかに笑った。 それは嬉しいね、と、本当に嬉しそうな顔で言う。 少女は、少し呆れ顔で肩を竦めて見せた。
「おじさんったら。そんなに顔に出すと、嘘つく時に不便よ。」
「ん?いいんだよ。おじさんは、嘘つくの上手いんだよ。」
「…へたくそね。」



去っていくパン屋の主人を見つめながら、少女は空を見上げた。
「あれで認めたんじゃないわよ。信じる事をやめた罪は、これくらいでは消えない。」
母親に言い聞かせる。 いや、ひょっとしたら自分にかもしれないが。 少女は、またその場に寝転がって、小さく笑った。
「あの言葉、…お父さんが言ってくれたんだっけ…。」
今は亡き父親の、最後の言葉。 母親があんなだからと言って泣き叫ぶ少女に、父親は穏やかな笑顔で言ったのだ。 いつか信じるものを失うかもしれない、だがその時は、また他の場所に信じるものを見つけなさい、と。 少女は、少し照れくさそうに笑った。
「まだまだ多くの人間を見ていかないとわかんないけど…少しだけ、私は変われると思う…。」
少女の白くて細い手が、天に伸びた。



「見守ってて…お父さん…。」




 町の喧騒も、冷ややかな視線も気にならない少女は起き上がった。 翌朝には、この町を発つつもりだった。 その前に、あのパン屋の主人に挨拶をして行こうと思った。






神崎須磨さんのコメント(HP掲載文より)>
   キリ番800HITされたと言う事で、オー白黒様に送らせて頂いた小説です。
長らくお待たせいたしました、そして短くてヘボくてすみません。オリジナルなんて書いた事ないから…。
少女。名前を考えるのが面倒だったなんて、口が裂けてもいえない…。←(言ってる
   それでは、こんなものでよろしければ、どうぞ受け取って下さいませ!!


管理人コメント
 須磨さんのHPでキリ番800をもぎとりまして書いて頂いたお話です。
リク内容は何にするか相当悩んだ結果、『オリジナルでシリアス話』などをぶつけてみました!
初オリジナルということで、無茶なリクにも関わらず見事に作り上げてくださりまぁ…(嬉)
本当にありがとうございましたーッ!! シリアス考えられる作家さんは尊敬します…
誰が読んでも 色々と、考えさせられる内容だったのではないでしょうか
主人公の少女は実は素直な印象を受けました。名前が無いのでよりミステリアスですね。
一体彼女は何を準備していたのか…何者なんでしょう。気になります。


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